シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 5th.)
皆さんこんにちは!シャローム レクラーム!
シナイの旅もいよいよ大詰め。
5日目の夕方になりようやく目的地のモーゼ山が見えることろまで来ました。
ベドウィンのご馳走とハシシの煙に巻かれた宴会から一夜を明け、自分たちは二人だけで裏山に登り朝日を眺めに行きました👇
朝日は美しいが、壮大な山岳風景にも慣れて感動の気持ちが下がってきた...笑
【長い峠越え】
小屋に戻ると他のベドウィンも起き、外で茶をしばいていました。
チャイと簡単に朝食を済ませ、彼らに別れを告げ出発です。
今更ですが、アマリーヤさんの家がある谷間の名前は、
Wadi Zuweitin ワディ・ザワティン。
Wadiとはアラビア語で「乾いた川」という意味。イスラエル南部には今もワディ何々という地名がたくさんあります。そしてZuwaitinはオリーブ。ヘブライ語ではザイティームと言い良くに似ています。文字通りここにはオリーブの樹がたくさん生えていました。
イブラヒムに聞くと樹齢700年のものもあるらしく、はるか昔にベドウィンが植えたものとのことで、今日ではアマリーヤさんが樹の所有者みたいらしいです。
極度に乾燥した大地でも力強く生きるオリーブの樹
今日もこれまでと変わらず、谷間をテクテクと下がったり登ったり...
ロバのナチュラルな剥製が....( ̄Д ̄)ノ
山の奥のまた奥にもひっそりとベドウィンのお爺さんたちが住んでいました。イブラヒムはこうやってガイドをすると同時に彼らへ村からの物資(薬とかタバコ)を提供するという重要な役割もありそうです。
一緒にチャイを飲んでいる間、イブラヒムは山の中で孤立した彼らに最近の様子を
伺ったり、体調を聞いたりしていました。そして、薬やタバコ葉っぱをあげる代わりに
彼らの一人からタバコ用で手製の木製パイプを受け取っていました。
生活がシンプルなだけに物々交換というシステムが成り立っているのでしょう。
これもまたベドウィンが厳しい環境の中でお互いを助け合い、生きていく為の術だと思います。
かなり高齢なベドウィンのお爺さん ひっそりと山の中で暮らしていました
シンプルで質素な生活とは言え、薬等の物資も十分になく、誰かに届けてもらわないと入手ができないような場所でもしっかりと生活を刻み生きています。
なんとしたたかなことでしょう。
心配な気持ちがありつつも我々はお爺さんを後にして先に進まなくてはなりません。
だだっ広い開けた地形になってきて、ちょっと地図でトレイルを確認していると
イブラヒムはおよそ道があるとは思えない岩山へばりつくように登って行きました。
トレイルや踏み跡さえもない左方面へ進んでいく....
3人でお互い引き上げたりしてなんとか岩山を登り切ります。
いやー誰も滑落しなくて良かったよかった( ̄Д ̄)ノ
大きな岩の上で休憩です。
自分は前日やこの日の行動記録をメモ帳に記します。
横ではイブラヒムは午後のお祈り中。それから当然巻きタバコ。
風が吹けば汗がすぐ乾いてしまうほどの爽やかがあります。
岩壁にミニ氷瀑を発見!カッチコチの氷、すっげえ分厚い!
岩山を登り切ってから、峠に着くまでが長かったのなんの...
峠寸前でパートナーがエネルギー切れになりそうになったので
急いでナツメヤシを食べさせ、出発から4時間かかり峠に到着!
そこで待っていたのは正面にモーゼ山がドーーーン!
単独山というより巨大な一枚岩のような容姿をこれでもかというほど
太陽光を反射させこちらに見せつけてきます。
聖書によるとモーゼが400年間奴隷にされていたユダヤ人を救うためエジプトを脱出した後、たどり着いた山中で神からイスラエルの民のために十戒を授かったとされる
聖なる山。
中学生の頃、世界史の資料集で見た山が今自分の目の前にある。
感動ものです。
山を眺めながら遅めの峠ランチ!
モーゼが授かった十戒とは以下です。
1.ヤハウェが唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.偽証してはいけないこと
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと
ちなみに映画「エクソダス 神と王」では、モーゼが山中で神と思われる者
に話されながら、十戒を石版に刻み込むシーンがあります。
【峠から麓の村へ】
ということで、モーゼ山を拝めたもののこの日のトレッキングはまだ終わりません。
この峠から一気に山を降り、そして山の中腹にあるイブラヒムの友人がやっているチャイ屋まで行かなくてはなりません。
一時間半かけて降りたところで、谷底に小さな村がありました。
ここにイブラヒムの友人が住んでいるというのでモーゼ山に登る前に
夕食を兼ねて休憩です。
モーゼ山の麓に位置する小さな村
外の庭で座っているとこの家の嫁らしき女性が現れチャイを提供してくれました。
しばらくして現れたのは、ものスゴイ肝っ玉母ちゃんな雰囲気を漂わせる
女性と孫の女の子。
この母ちゃん、嫁らしき人に砂糖を持ってこさせたり、チャイ台を動かさせたり指示をあれやこれや出して働かせています。
イブラヒムもタバコをすかさず巻いて渡すなど、かなりの権力者のようです囧
肝っ玉母ちゃん タバコを口に運ぶ度ジャッラビーヤ(ムスリム服)を捲り上げ、器用に吸っていた
【モーゼ山入山】
20時頃までコーヒーや楽器演奏などしてたっぷり休んだので、そろそろ行こうやとイブラヒムに告げると、
ここが快適だから残りてぇなぁと言い出します。
......いやいや最後までガイドしてくれや!笑
外はすでに完全な闇。ヘッドライトを装着します。
出発するとそこはもう満天の星空が広がっていました。
微かに姿がうかがえるモーゼ山は闇の中では昼間よりも巨大に見えます。
遠くが見渡せるところまで少し登ると遥か地平線にポツポツと村の光が
見えています。
一時間ほど歩くと目的地のチャイ屋に到着しました。
友人は電波の悪いラジオを流しながら、土間で乾燥したアヘンを
刻んだりしていました。
小屋の奥に通され、ロウソクを何本も立てて寝床を整えます。
次の日の早朝は、ついにモーゼ山の頂上へ!
どんな朝日が見れるのか期待を胸にシュラフに体を潜り込ませます...
ライラトーブ
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 3rd. 日帰りトレッキング)
アッサラームアライクム
シナイの旅の3日目は一日トレッキングです。
イブラヒムの庵と自分たちが寝た離れの岩小屋に食料や荷物はデポして、
水や昼に食べるピタや野菜などだけを持って歩き出します。
その前にとりあえずはおきまりのチャイから....
中東でもよく飲まれるチャイ(アラビア語ではシャイと発音)は、インドやネパールのように鍋で煮たせてから茶漉しを通してコップに注ぐのではなく、沸騰したヤカンに茶っ葉と砂糖をたっぷり入れて、茶っ葉ごとコップに入れていきます。茶っ葉は味が出ていくにつれて沈殿していきそのあと飲むので、注いでから少し待つ必要があります。
お湯が熱くなっていないと茶っ葉が沈殿しにくくなるので、よく沸騰させるのがコツです。
【トレッキングへ】
昨晩のスパムご飯で朝食を済ませ済ませて、トレッキングに出発です。
谷間を抜けて別のトレイルを進みます。
赤肌の岩山が延々と続き、高所に登ると山岳地帯が途切れ砂漠がはるか彼方に見えています。これほどの大自然、もう何千、何万年と変わっていない違いありません。
古代のエジプト文明からも遠く、大きな文明が栄えたわけではありませんが、
巨岩の下に石が積まれ何かの貯蔵庫か寝床のように作られている場所や古井戸、点在する村々など確かに人々が延々と歴史を刻んできた痕跡や証が今でもあり、携帯電話やガスコンロ以外、自然と同じく何千年もほとんど変わらない生活をしているのだと思います。
しばらく歩くと畑が見えてきました。
キレイにビシッと畝が作られ、何かを栽培しているようです。
聞くとイブラヒムの秘密のタバコ畑で、大麻草も少し植えているとのことです( ̄Д ̄)ノ
畑では畝の上ではなく四角の中で育てていました。ベドウィンは生計を立てるためにもこういった畑や自分の庭を山の中に所有しています。
ホダリーという植物はニコチンやタールはないけど葉巻的な味を楽しむことができるそうで、家でも簡単に栽培可能なためビジネスにする人もいるとのことです。
畑のチェックに抜かりがないイブラヒム!
たくさんタバコできるといいね!
しかし自前のタバコ栽培でも問題はあります。
巻きタバコとして使うためアルミ缶や袋に入れ保管するのですが、ハタからすればどう見ても大麻のように見えてしまいます。なので、街に出るときはちゃんと市販のパッケージものを購入すると言っていました。ベドウィンの生活を支えるために重要なホダリー栽培ビジネスですが、政府の許可がないためこういった山岳地帯で密かに作るしかないので現状のようです。
岩陰で休んでチャイを沸かしたり、テクテクと静かな天気の中岩山を越え、誰かの果樹園の中を突っ切り、行けるとこまで進みます。
するとイブラヒムが徐ろに腰巻にしていたカフィーヤ(アラブのターバン)を地面に広げ、草をむしり取り始めました。
これ何なの?と聞くと、
「これはアシャーブと言って乾燥させてお湯で飲むと咳などに効く薬草なんだ。」
と言います。
もうトレッキングそっちのけで無心になってむしっているので、
自分らも手伝うことにしました。
ここである疑問が湧いてきます。
「........今日はトレッキングでなくて、イブラヒムの手伝いに駆り出されたんじゃね?」( ? _ ? )と。
イブラヒム曰くこのアシャーブ、英語ではヘルパスと呼ばれるらいです。
手で揉んで嗅ぐと、鼻がスーッとするような香りでミントに近いのかなと
思います。
ある程度収穫したようなので、歩き出します。
アシャーブは日がよく当たる場所より岩陰によく群生していた
【ランチ】
開けた場所に着きました。
どうやらこれまでにもたくさんのイスラエル人観光客が来たらしく、
石を並べてヘブライ語で名前やメッセージを書いてあるのがそこらじゅうに
点在しています。
おきまりのポーズ(^ω^)
ここで昼の休憩にするというので、自分たちも散策します。
戻るとイブラヒムはまったりタバコを吹かしていましたが、
なんか食べようやと言うと薪拾いをし始めました。
ある程度置き火ができたところで、イブラヒムは火を
ズズズーっと少しどけます。
何をするのかなと見ていると、持ってきたピタを熱くなった地面の上に
バッサバッサと置いていきます。
冷えたピタを温めて再び柔らかくするためやったんか!!!
またベドウィンのスキルはどれも感動モノです。
この技は日本のキャンプ場や河原でも使えるはず!
裸足になりゴロゴロしたり、イブラヒムの歌に聞き入ったりして過ごします。
締めにチャイを飲んで帰路につきます。
【帰り道】
来た時アシャーブを収穫した場所で
彼はまたまたむしり取りだします。
日も沈んできてやれやれと思いつつもガッツリお手伝いをします!
三人とも無言でやっていると、
突然、岩陰からベドウィンが現れました!
まるで地面から湧いて出てきたかのような感じだったので、さすがに
少しぎょっとしてしまいました。
どうやらイブラヒムの友人。彼もアシャーブを大量に取っていました。
よくムスリムが来ている足まで長い白い服(ジャッラビーヤ)の前の部分を
うまい具合にポケットのように使い薬草を抱えていました。
そしてそれを全てイブラヒムにあげちゃって去って行きました!なんでー!?!?
いろんなことを理解できないまま若ベドウィンはまた岩の向こうへ消えました...
帰り道トゲトゲしい草が歩く場所を邪魔しているというので、火をつけた!笑
合計3キロほど収穫したアシャーブは一度岩の小屋でカラカラになるまで乾燥させてから村で売るとのことです。
月が光出してきた頃、岩小屋に到着。
この日の夕食はトマトソースのマカロニ煮込みでした。
うーん野菜がたくさん入っていい味が出てる。
この日もたっぷり星空を見た後、
岩小屋にろうそくを灯し寝床につきます...
シナイの旅4日目は他のベドウィンと宴会にちゃっかり参加!
それではまた!シャローム!
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 2nd.)
ホロコーストメモリアルデーについての記事を挟みましたが、
シナイの旅2日目と3日目を書きたいと思います。
【朝 チャイとピタ】
簡素な庵で起きた二日日目の朝は、谷間の放射冷却のせいか、
かなり冷え込んでいました。用を足すために、裏の崖を少し登ります。
山の間から陽の光が差し込み、徐々に谷間へ進んでいくのが
はっきりとわかります。 あたりは完全に静まり返り、空はどこまでも青く
澄み渡り、はるか上空を飛行機がまるで滑るように音もなく飛んでいくのが
よく見えています。
シナイの山々は堂々としている まるで剱岳のよう
庵に戻りイブラヒムを起こさぬよう、荷物を整頓するために外へ出します。
そのうちパートナーとイブラヒムもぼちぼち起きてきたので、朝のチャイのため火を起こします。
そうしているとまたどこからともなくベドウィンが一人、またひとりと
集まってきます。みなラクダかロバを連れて荷物をどこかに運ぶ途中のようです。
おそらく人生初のラクダとの交流
谷間を通りすがっていくベドウィンが一体何の仕事をしに行くのかイブラヒムに聞いても結局最後まで詳しく分かりませんでした。
捨てられた空き缶もヤカンとして駆使するイブラヒム
世間話をしていたイブラヒムは突然徐ろに小麦粉を練りだしました...( ̄Д ̄)ノ
雑貨屋で買わなかったので、彼はどうやら持参していたそうです。
ボールも使わず板の上だけでこねていき、引きちぎり伸ばし鉄板の
上でピタを次々に焼いていく様子は器用の一言に尽きます。
5日目の昼ごはんまでこの時作られたピタを食べました(^ω^)
庵で泊まらせてもらったのでイブラヒムの友人に宿泊代を渡します。
ひとり20ポンド(100円)でした。
この日は峠越えをするためしっかり食べてから10時前に出発しました。
そういえば昨晩にイブラヒムに予定を聞いたら「8時頃には出発しようかのアッラーフワクバル」と言っていたっけ.....
【峠越えへ】
イブラヒム先導のもと、トレッキングへ出発します。
「ここの道は大昔からベドウィンにとって村と村をつなぐ道で大事だ。
今も使われているし、ガイドとしてもう何回も通っている。日本人を連れてきたこともこれまでにたくさんあるで。」と話すイブラヒム。
実際、井戸や石垣を組んで家畜を離したり、小さな庭らしきものをたくさん
目にしました。これら数百年前にはちゃんとベドウィンの所有者がいて使用されていたものとのことです。
1時間ほど歩いたところでチャイにしようという。
その辺に落ちてるヤシの枝を燃やして、拾ったコーラの空き缶の上部を切り取り
ヤカン代わりにします。
イブラヒムを見ていると大して上等な装備をしてはいないし、いろんな道具を持っているわけでもないのに何も不自由せず、必要最低限のものだけを使用し、無ければ作り、工夫するベドウィンのミニマリスト代表に思えてきます。
谷間で気温が上がらず山水でところによっては氷が張っていたり小さな氷瀑を見つけたりと自然の景色を楽しんでいるうちに、峠を越えました。
そこにはイブラヒムがかつて父親と造築をし手を入れてきた小さな果樹園兼休憩場所が
ありました。
朝焼いたピタにツナや野菜、アボガド、マヨなどを巻きまきしランチタイム。
山の中には自分たちしかおらず、どこまでいっても静寂そのもの。
直射日光は強いですが、心地よく冷たい山の風が吹いているためあまり疲れません。
イブラヒムはよっこらせと焚き火近くのカバンを手繰り寄せ、嬉しそうに
巻きタバコをクルクルし始めます。
軽くて保存が効き腹持ちのいいピタ
何でも好きなものを乗せて食べられる懐の広い中東食!
【宿へ】
たっぷりと2時間ほど休憩をし、そろそろこの日の宿泊場所へと向かいます。
イブラヒム曰くさほど遠くないということで、赤山に囲まれた谷間を歩いてまだ20分ほど、今日はここまで!という感じで彼が荷物を下ろすので着きました。
本日の宿はなんとプライベートの離れ庵付き!焚き火場所プラス毛布多数完備!
家畜を繋いでおくスペースもありました。使いませんが...
さすがイブラヒムもナイフの使い方に慣れている♪
一息ついたらまずは水汲みをしたら、夕飯の準備開始。
自分も料理は幼少期より好きなので、野菜切ったり炒めたり色々と手伝います。
今日のメインはエジプトスパム入り炊き込みご飯(^з^)-☆
煙とともに野菜とスパムのいい匂いがたまりません。
今かいまかと炊けるのを待って30,40分ほど、
「そろそろもういいんじゃないですかねイブラヒム?」
と聞くと、
「いやまだまだだインシャアッラー」( ̄Д ̄)ノ
たまに蓋を開けてみるともう絶対炊けていそうなのに、
まだと言い張るイブラヒム。
こちらはもうペコペコです....
因みにイスラム世界でよく耳にするこの「インシャアッラー」というフレーズ。
アラビア語で「もしアッラー(唯一神)が望むなら」という意味でして、
良心的に訳すと。
「人間としてできることはするけど、うまくいくかどうかは神のみぞ知る」というニュアンスになります。
ご飯が炊けている間に静かに日が暮れていく...
日が落ち、完全な闇に谷間が包まれるとあとはもう焚き火のパチパチとした
音と明るいものは炎しか無く、原始の世界観に引き込まれていきます。
イブラヒムは時折ベドウィンの歌を歌い、空には徐々に星の数が増えていき天の川が谷間を横断しているのがよく見えます。
イスラエルからシナイに来てまだ2日目なのにもう随分と長い旅をしている錯覚を覚えます。おそらく文明社会から遠く離れた大自然の中でほとんど人にも会わず、旅というより生きていく上で最低限の事しかしていなからだと思います。
起きて、火を起こす、食べて、歩いて、休んで、食べて、寝る。
このベドウィンのシンプル且つ原始的なスタイルにどっぷりハマっていくのを
肌で感じます。
ホロコースト・メモリアルデイ
ヨム・ハショア
ホロコースト・メモリアルデイ
4月24日の今日はイスラエルでは、ナチスによりユダヤ人の大虐殺を追悼する
ホロコーストメモリアルデイでした。
午前10時には全国で2分間サイレンが鳴り響き、黙祷を捧げました。
ナツメヤシ農園でも、全ての作業を止め、機械の上で働いている人は下まで降りしばし静寂な時間が流れました。
1週間レベルでラジオも全てのチャンネルからコマーシャルは消え、一日中静かめな音楽が流れ続けています。
チャンネルによってはホロコースト生還者による体験談を聞けることもあるそうです。
昨日23日は、自分たち国際ボランティアに対しキブツメンバー二人がこの日がどういう意味、教訓を人々に与えてくれるのか、
またメンバーの一人は彼の母親がアウシュビッツからの生還者であることから、彼女から聞いた話などを語ってくれました。
少しキブツメンバーから聞いた、話を記したいと思います。
一人のメンバーの母親は、終戦が近づいて来た時期にアウシュビッツに送られたそうです。それまではナチスが収容所を管理していましたが、戦況が悪化してきたため管理の一部をハンガリー人に任せることにしたそうです。ナチスが管理をしていた頃は、収容する全てのユダヤ人の腕に番号を刺青で入れていましたが、大量に送られてくるユダヤ人を捌ききれなくなってきたことと、
いずれガス室送り等にするつもりだったこともあり、番号を入れなかったそうです。しかし、戦争が終結しソ連軍が収容所を解放したあと、連合国軍側に助けられた彼女はイスラエル建国後、決死の思いでイスラエルに船で渡ってきたそうです。その後、若者によるキブツ運動の中、自らもキブツを創設したそうですが腕に番号が無かったため周囲はアウシュビッツから生還したとは信じなかったそうです。このことにより彼女は家族にも戦争や収容所の体験を一切語ることは無かったとのことです。しかし、彼女が85歳の時、再びアウシュビッツを息子と訪れた際、上記の様な過去に起きたことを話し始めたと言います。
もう一人のキブツメンバーは私のホストファザーでした。
彼の育ったキブツにも腕に番号があるメンバーがいたそうです。
彼の父親は、欧州から出る南米向けのほぼ最後の船でなんとか戦火と虐殺の惨劇から逃れることができたそうです。
彼のキブツメンバーのある女性も生還者でしたが、壮絶な経験をしたことから何十年経ってもトラウマは消えることはなかったそうです。
彼女はモーターバイクの音が聞こえると、物陰に隠れパニック状態になったと言います。その音はかつて自分たち女性を娼婦のように扱うナチスの上官が乗ってやってくる記憶を呼び起こすからだということでした。
メモリアルデーについて二人とも言っていました、
「過去の大虐殺で犠牲になった人々を偲ぶことはもちろん大切だが、それよりも二度とあのような残虐行為に及ぶ人間に誰一人としてなってはいけない。みな『人間』にならなくてはいけない。ということを毎年思い返すための日だ。」
6百万人が犠牲になったと言われるユダヤ人の追悼するため各家や公共の場でも6個の火が灯されます
そしてサマールでは昨夜、子供から大人までほぼキブツメンバー全員が集合し、自分自信の思いや両親・親族の体験談、高校生の時アウシュビッツ収容所を訪れた時に感じたことなどを語り合う集会がありました。
集会でも感じましたがイスラエルに来て以降、常に思うことがあります。自分の両親がどこの出身であろうが、ユダヤ教徒であろうがなかろうが、自国の歴史や平和問題等に関して自分の思いや考えを話すとき、誰からも強い意思やそれぞれの特別な感情が込もっているように思います。
この国は、日本社会とは比較すら困難なほど多様な問題を抱えすぎていると思います。イスラエルに住むということは、男女の兵役、テロ事件、隣国からの攻撃、中東情勢、宗教間の軋轢や争い、文化間の衝突、同民族間による政治的論争、これらが原因となり絶え間なく続く悲しみと憎しみの連鎖….
これら全てに誰もが触れざる得ない、考えざると得ない、もしくは当事者になる可能性を抱えながら日々の生活を送るということです。
最後に我々ボランティアに対して、回答する必要は無いという条件付きで以下の質問をされました。
「あなたは軍からあるテロリストを捕獲する任務を任された指揮官です。自分の指揮する兵士を連れて、そのテロリストが家族と暮らす家に向かいます。居間には彼と彼の子供たちや妻、両親が団欒の時間を過ごしている時に突入しました。あなたは指揮官として部下の命を守る責任とテロリストを確保する任務がある中でテロリストは自分たちに銃を向けようとしています。今にも応戦しなければ部下が撃たれ死亡する危険性があり、自分は生き残っても部下を守ることができなかった責任を軍法会議で問われ刑務所に入る可能性もあります。
仮に銃撃戦になり自分あるいは部下が罪のない妻や子供を誤って打ったとしても指揮官としての責任を問われ軍法会議にかけられます。
この時、あなたならどうしますか?」
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 1st.)
先週の4月中旬にイスラエルでは、ユダヤ教でも重要な歴史的出来事、モーセの出エジプトに因むお祭りペサハ(Pesach):過越祭に伴う大型連休が明け、再び国中は平常通りに戻りました。
子供たちは2週間半という長期の休みをもらい、プラス大人たちもそれに合わせ休暇を取るため全国で帰省ラッシュや観光などでどこへ行っても渋滞や大混雑という
まるで日本のGWやお盆休みのような状況でした。
因みに兵役中の若者も休みが取れるらしく、実家でリラックスしたり友人と会ったり、あるいは砂漠にトレッキングへ出かけたりなどして束の間の休息期間を過ごします。
さて、本題ですが、キブツから6日間の休暇をもらい色々と危険な事案や噂が絶えないシナイ半島に行きました。
それももう一月中旬のことですが( ̄Д ̄)ノ
ということで備忘録も兼ねて見たもの聞いたもの感じたものを記したいと思います。
大雑把に分けて...
越境(イスラエル・エイラットからエジプト・タバ)
⬇︎
セントカトリーナ市(トレッキング開始)
⬇︎
⬇︎
帰国
の順番に進んでいきたいと思います。
【越境】
実は自分、越境はこれまで空路か船舶だけで徒歩で国境を渡るという経験を
したことがありませんでした。
ということで、朝からテンションを上げつつちゃっちゃと国境すぐ隣まで
バスで向かいます。
しかし1月という完全な観光の閑散期とシナイの情勢が良くないことが重なり
全く自分たち以外に観光客がいない!税関や警備の人しかいない!
Duty Freeのお店のおばさんも手続きをするデスクのお姉さんも
スマホを見るばかりで完全に静まり返っていました...
まぁこんなものかとテンションも下がります(; ̄ェ ̄)
とにかく出国税の102シェケルを払い、幾つかの検問を抜けます。
そしていつ国境を超えたかもわからないうちにエジプト側のターミナルが
見えてきます。
荷物検査器を通り、パスポートにスタンプを押してもらい
ようやく入国した感が湧いてきました。
越境に20分程かけ無事エジプトへ入国完了!
最後のゲートを出たところで、行く前からキブツの友達のつてで
事前に連絡を取っていたTaxiの運ちゃんハメッドへ合流します。
他にもドライバーはいて暇そうに観光客が来るのを待っていましたが、
「ハメッドはいる〜〜??」
と叫ぶと俺だ俺だ!といわんばかりに出てきたので、
他のドライバーたちはちょっとしけた感じが漂っていましたd( ̄  ̄)
【セントカトリーナ市へ】
早速トヨタHIACE VANに乗り込みモーセ山と修道院があるセントカトリーナ市へ
向かいます。
国境を離れるために行き先や乗員を書いた書類を提出するハメッド
役人は何かボードゲームに興じていた...
とりあえずサウジアラビアが対岸に見える海岸線をガンガンと車を飛ばし、
南下しますが、途中何回も軍の検問を通過しその度にパスポートを見せます。
エジプトでは軍施設や兵士を撮ろうとすると問題になり、最悪捕まったりするという事前情報を得ていたので写真はありません。
笑顔とアッサラームアライクムッ!でカラシニコフをぶら下げる兵士と言葉を交わします。
山羊とベドウィン
途中景色が良いところでわざわざ車を止めてくれるハメッド
3時間のドライブで軍の検問を合計10回弱通過し、ようやくセントカトリーナ市に
着きましたが、ここはモーゼ山も含め広大な国立公園です。
...という事実を知らなかったので、入園料を支払うようにハメッドから言われた時は
「あぁ入園料がいるんか?!そんでいくら??」という感じで少し驚いてしまいました。
一人25エジプトポンド(約125円)を払いました。
シナイ半島の南部は砂漠ではなく赤い山々が延々と続く山岳地帯。
首都カイロからははるか遠く、間近にそびえ立つ山々に囲まれていると、もはやエジプトにいるという感じは全くなく、世界の果て、辺境の地に来たという気持ちになります。そんな厳しい環境の中で谷間や山間に村を築き、大昔から暮らしてきたベドウィンたちはエジプト人と言うより彼らはあくまでもベドウィン。「砂漠・山岳の民」であり、独特の文化や考え、生活の質を何千年も保ちながら細々と生活を送っているように思えます。
【Fox Campに到着】
ハメッド友人らの溜まり場所になっているFox Campという、キャンプ場兼Guest Houseのような場所に着くなり、早速多くのベドウィンたちにチャイで出迎えられます。
砂漠街道を突っ走りFox Campに到着!
チャイで世間話をするベドウィンら
「どこから来た?」
「何日シナイにはいるんだ?」
「どこに行きたいんだ?」
「モーゼ山からの朝日は格別だぞ!だけどイン シャアッラー!」
という感じできますが、こちらも負けじと地図を広げながら予定を伝えようとしたところに出てきたのが、ハメッドの仕事上のボス、ジュメア登場。
彼が現れ地図を見るやいなや...
「6日間の日程ならここから、こう山に入って行って、谷間にアマリーヤという女性が住んでいるから宿泊可能で云々カンヌン.....そんで最終日にモーセ山で日の出見て11:00に下山して、国境まで送るからな!よしっ出発!」
とまぁあっという間にサクサクっと決めてくれました。
結局彼のプランは歩く行程に無理がなく、景色のポイントもしっかり押さえ、半ば強引だったものの後々頼んで良かったなと思えるものでした。
これ以降、我々は彼のことを『監督』と呼ぶことにしました。
【トレッキング開始】
トレッキングの行程が決まったところで、自分たちのガイド、イブラヒムが何処からとも無く出てきます。
彼は50歳のベテランガイド。幼い頃からロバやラクダを連れ村々へ荷物運びをしたり、ガイドでは多くの観光客を山岳地帯へと案内し、周辺の地理を熟知し、植物や動物にも詳しいためまるで狩猟をしないマタギのような人でした。
早速、6日間3人分食料の買い出しに出かけます。
ここでも監督が手慣れた感じであれやこれやとイブ爺に指示をして買い込んでいきます。
左:監督ジュメア 右:ガイド イブラヒム
こんなに大量に買っても約1600円という物価の安さ!
食料を監督の車に積み、出発地点でありイブラヒムの自宅もある村へ出発。
イブ爺の娘さんと奥さんにチャイでもてなされ前半三日分の食料のみを
選別します。
残りの食料は息子ムハンマドがロバで宿営場所まで届けてくれると言います。
娘と奥さんにキブツのナツメヤシを少しおすそ分けし、いよいよ出発です。
空気は澄み、空はどこまでも青く、険しく赤い山が延々と続いています。
時折、ロバや山羊を連れている子供たちが物珍しそうにこっちを見てきますが、
挨拶すると恥ずかしがり気味にアライクムアッサラームとちゃんと応えてくれます。
こんなのどかで静かな場所にいるととてもイスラエルとエジプト同士がいがみ合っていたり、ISがシナイ北部でテロ活動をしているという現実がまるで嘘のように思えます。
出発から10分程度で急にイブ爺が「祈りを捧げるからちょっと待ってもらえないか?」
と言いました。
実はイブ爺は経験なイスラム教徒、1日5回のお祈りを毎日欠かしませんでした。
因みに5回とは、朝5時、正午、午後15時、17時、19時。
また事あるごとに、
「アッラーハンブレラ!(神のご加護を)」
と叫んでいました。
【宿へ到着】
山岳地帯の谷間にはヤシの木が生え、ベドウィンの個人の果樹園などが整備されていた
小さな峠を越え、谷間へ下りしばらく歩いていると庵のようなものがポツポツを現れ出しました、そしてイブ爺が
「今日はここに泊まるでなアッラーハイ!!!」
と言いい到着したのは崖に隣接した石と粘土とヤシの木の枝葉で、
できた質素な庵でした。
「ここは友人、アブラハムのものだけど気にせず使ってくれ。
あとここにケシの芽も生えてるでなアッラーハンブレラ!!!」
とのんきな感じのイブラヒム。
こちらも早朝から国境越えや長距離移動と疲れていたのでホッとしました。
頼もしいイブラヒム!!!
早速、この日の薪拾いに出かけます。
イブ爺は鋭く、しかも毒まであるナツメヤシの棘の茂みなど全く気にせず分け入り、素手でメキメキと枯れ枝を折りだします。
棘の毒がどれほど厄介なものなのか、農園で働いている自分はよく知っているので
もうイブ爺への尊敬の意を示さずにはいられません。
何処からともなく現れたベドウィンの子供らに蒔運びを手伝ってもらう👍
ベドウィンはどんな時もまずは一杯のチャイから行動を開始します。
イブ爺も夕飯の準備をぼちぼちと始めます....
狭いが作りや機能はシンプルで居心地の良い庵
静かに夜が更けていく....
谷間から覗いていた陽はあっという間に崖裏へと落ち、星が輝き出し、
焚き火があたりを一層明るくします。
炭の煤で真っ黒になった金属製のお椀に野菜たくさんのスープを啜い、時折歌いだす
イブ爺の歌声に耳を傾けると、なんだか全く別の惑星にでも来たかのような錯覚がします。
庵内でも焚き火を囲み、周囲にシュラフを並べてウトウトウト💤
明日は長い距離を歩くので、早めに就寝...
体力を温存します。
Day 2nd.3rd.へ続く...