シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 2nd.)
ホロコーストメモリアルデーについての記事を挟みましたが、
シナイの旅2日目と3日目を書きたいと思います。
【朝 チャイとピタ】
簡素な庵で起きた二日日目の朝は、谷間の放射冷却のせいか、
かなり冷え込んでいました。用を足すために、裏の崖を少し登ります。
山の間から陽の光が差し込み、徐々に谷間へ進んでいくのが
はっきりとわかります。 あたりは完全に静まり返り、空はどこまでも青く
澄み渡り、はるか上空を飛行機がまるで滑るように音もなく飛んでいくのが
よく見えています。
シナイの山々は堂々としている まるで剱岳のよう
庵に戻りイブラヒムを起こさぬよう、荷物を整頓するために外へ出します。
そのうちパートナーとイブラヒムもぼちぼち起きてきたので、朝のチャイのため火を起こします。
そうしているとまたどこからともなくベドウィンが一人、またひとりと
集まってきます。みなラクダかロバを連れて荷物をどこかに運ぶ途中のようです。
おそらく人生初のラクダとの交流
谷間を通りすがっていくベドウィンが一体何の仕事をしに行くのかイブラヒムに聞いても結局最後まで詳しく分かりませんでした。
捨てられた空き缶もヤカンとして駆使するイブラヒム
世間話をしていたイブラヒムは突然徐ろに小麦粉を練りだしました...( ̄Д ̄)ノ
雑貨屋で買わなかったので、彼はどうやら持参していたそうです。
ボールも使わず板の上だけでこねていき、引きちぎり伸ばし鉄板の
上でピタを次々に焼いていく様子は器用の一言に尽きます。
5日目の昼ごはんまでこの時作られたピタを食べました(^ω^)
庵で泊まらせてもらったのでイブラヒムの友人に宿泊代を渡します。
ひとり20ポンド(100円)でした。
この日は峠越えをするためしっかり食べてから10時前に出発しました。
そういえば昨晩にイブラヒムに予定を聞いたら「8時頃には出発しようかのアッラーフワクバル」と言っていたっけ.....
【峠越えへ】
イブラヒム先導のもと、トレッキングへ出発します。
「ここの道は大昔からベドウィンにとって村と村をつなぐ道で大事だ。
今も使われているし、ガイドとしてもう何回も通っている。日本人を連れてきたこともこれまでにたくさんあるで。」と話すイブラヒム。
実際、井戸や石垣を組んで家畜を離したり、小さな庭らしきものをたくさん
目にしました。これら数百年前にはちゃんとベドウィンの所有者がいて使用されていたものとのことです。
1時間ほど歩いたところでチャイにしようという。
その辺に落ちてるヤシの枝を燃やして、拾ったコーラの空き缶の上部を切り取り
ヤカン代わりにします。
イブラヒムを見ていると大して上等な装備をしてはいないし、いろんな道具を持っているわけでもないのに何も不自由せず、必要最低限のものだけを使用し、無ければ作り、工夫するベドウィンのミニマリスト代表に思えてきます。
谷間で気温が上がらず山水でところによっては氷が張っていたり小さな氷瀑を見つけたりと自然の景色を楽しんでいるうちに、峠を越えました。
そこにはイブラヒムがかつて父親と造築をし手を入れてきた小さな果樹園兼休憩場所が
ありました。
朝焼いたピタにツナや野菜、アボガド、マヨなどを巻きまきしランチタイム。
山の中には自分たちしかおらず、どこまでいっても静寂そのもの。
直射日光は強いですが、心地よく冷たい山の風が吹いているためあまり疲れません。
イブラヒムはよっこらせと焚き火近くのカバンを手繰り寄せ、嬉しそうに
巻きタバコをクルクルし始めます。
軽くて保存が効き腹持ちのいいピタ
何でも好きなものを乗せて食べられる懐の広い中東食!
【宿へ】
たっぷりと2時間ほど休憩をし、そろそろこの日の宿泊場所へと向かいます。
イブラヒム曰くさほど遠くないということで、赤山に囲まれた谷間を歩いてまだ20分ほど、今日はここまで!という感じで彼が荷物を下ろすので着きました。
本日の宿はなんとプライベートの離れ庵付き!焚き火場所プラス毛布多数完備!
家畜を繋いでおくスペースもありました。使いませんが...
さすがイブラヒムもナイフの使い方に慣れている♪
一息ついたらまずは水汲みをしたら、夕飯の準備開始。
自分も料理は幼少期より好きなので、野菜切ったり炒めたり色々と手伝います。
今日のメインはエジプトスパム入り炊き込みご飯(^з^)-☆
煙とともに野菜とスパムのいい匂いがたまりません。
今かいまかと炊けるのを待って30,40分ほど、
「そろそろもういいんじゃないですかねイブラヒム?」
と聞くと、
「いやまだまだだインシャアッラー」( ̄Д ̄)ノ
たまに蓋を開けてみるともう絶対炊けていそうなのに、
まだと言い張るイブラヒム。
こちらはもうペコペコです....
因みにイスラム世界でよく耳にするこの「インシャアッラー」というフレーズ。
アラビア語で「もしアッラー(唯一神)が望むなら」という意味でして、
良心的に訳すと。
「人間としてできることはするけど、うまくいくかどうかは神のみぞ知る」というニュアンスになります。
ご飯が炊けている間に静かに日が暮れていく...
日が落ち、完全な闇に谷間が包まれるとあとはもう焚き火のパチパチとした
音と明るいものは炎しか無く、原始の世界観に引き込まれていきます。
イブラヒムは時折ベドウィンの歌を歌い、空には徐々に星の数が増えていき天の川が谷間を横断しているのがよく見えます。
イスラエルからシナイに来てまだ2日目なのにもう随分と長い旅をしている錯覚を覚えます。おそらく文明社会から遠く離れた大自然の中でほとんど人にも会わず、旅というより生きていく上で最低限の事しかしていなからだと思います。
起きて、火を起こす、食べて、歩いて、休んで、食べて、寝る。
このベドウィンのシンプル且つ原始的なスタイルにどっぷりハマっていくのを
肌で感じます。