イスタンブール 6/18 - 6/21 街角編
メルハバ!
トルコでメルハバとティシュキュレ(ありがとう)を覚えれば、
会話は出来なくてもすぐ仲良くなれます。
しかし最後までティシュキュレはどうも「ティッシュくれ」にしか聞こええなかったです笑
またイスラエルのキブツ生活は回想編としてこれからも記事を書いていきます。
さようならイスラエル 素晴らしい一年をありがとう(Tel-Aviv Jafoにて)
【英語が通じない!!!】
トルコ・イスタンブール! 中学時代からいつか訪れてみたいと夢見ていた街。
文明の十字路、古代ローマ帝国、ビザンティン建築、オスマン帝国、巨大モスクにトルコ料理!!!
様々な期待を胸に市街地にあるサビハギョクチェン空港に到着。
Tel Avivのように暑いと思っていたら、なんと雨でしかも寒い!天気悪い!
空港はガラガラ...なんだか段々寂しい気持ちに..笑
とにかく市街地まで出るバスを見つけますが全く英語が通じません。
これはあまりにも期待ハズレというか予想外。
トルコではこの後も、言葉の壁でことかなり苦労することになりました。
途中、乗り換えのために降りますが次のバスがどれなのかも聞いても通じないから
全然分かりませーん...チーン....
とりあえずあれやこれやジェスチャーや地名を言いまくり何とかミニバスに乗り、
ボスフォラス海峡を挟んで対岸のUsukudarウスキュダルに到着。
何日かお世話になるお宅へ向かいます。
憧れのイスタンブールだー!
左からスルタンアフメトモスク、アヤソフィア
ボスフォラス海峡の水はこんなにも青い!知らんかった!
(アジアサイドから)
街に出かけますが、フェリー乗り場やイスタンブルカルトというSuicaのようなICカードの購入方法、チャージについてなどことあるごとに言葉の壁にぶつかります...
まあこういうのも旅の一興ということにできますが、早急に基本会話や数字を覚える必要性を感じました。
【フェリーとガラタ橋と鯖サンド】
黒海方面を望む 左:ヨーロッパサイド 右:アジアサイド
船でもよく話しかけられた!
スタンブールで使いこなせなくていけない交通手段と言えば、そうフェリー。
通勤時間帯は満員電車ならぬ、満員フェリーを見ることもあります。
地下鉄も海の下を越えて走ってはいるのですが、海峡の風を感じつつ町並みを眺めるならやはりフェリーがオススメ!
ボーッと眺めるのも良し、チャイを一杯しばくのも良し。
通学通勤観光買い物荷渡し車渡し...
フェリーは街のみんなにとっても日々の大事な交通手段。
手前:ガラタ橋 奥:スレイマニエモスク
市街地にフェリーで行くには、ガラタ橋の北側ガラタ地区カラキョイか南側エミノニュがいいでしょう。
またフェリーからはいくつものミナレットやモスクの屋根が目立ち、オスマン帝国時代の繁栄ぶりを今日でも感じることができます。
そして着岸前に必ず目に入るのがガラタ橋。橋自体は1845年開通したものですが、
架かる場所は、古代ギリシャのビザンティオンから東ローマ帝国のコンスタンティノープル、オスマン帝国のイスタンブールと夥しい数の戦争、王朝や帝国の繁栄と陥落・滅亡を繰り返したまさに世界の歴史そのものが詰まりに詰まった中心地です。
毎日小アジやボラ、サバが釣り上げられている
橋の上では餌や釣り具、竿を固定する器具まで様々ものが買えるぞ!
ガラタ塔
ガラタ橋に来たらあれを食うしかない。あれを食わずしてイスタンブールは去れない、
と心に決めていたものがあります。名物「鯖サンド」!
鯖サンドと言っても鯖の切り身を鉄板でジュウジュウ焼いたものをバゲットに玉ねぎやレタスと一緒に挟んだだけのもの。
しかしここで日本人なら誰しも思う心の叫びは、
「白飯と大根おろしで普通に食べたいわこれ」
です.....
因みにお値段10トルコリラの約300円、そう安くはないです。
雰囲気出すためなのか船の上で焼いてくれます
「白飯と大根おろしで普通に食べたいわこれ!」
【日本が好きだよトルコ人】
これに関してトルコ人のアピール度はこちら側が引くくらい凄いものがあります。
自分はヒゲといつもターバン巻いてるからたまに「お前はアフガン出身か?」と
聞かれることもありましたが、日本人と分かると否応なく話しかけてきます。
よく言われたのが「トルコと日本は兄弟関係だ!」
中でも別々に出会った二人のおじさんが日本語流暢すぎました。
一人はジャンさん。イスタンブールでは日本大使館の為に働いたとかテレビ局が来た時はガイド兼通訳したとか、喋るしゃべるはでマシンガントーク炸裂してました。
今はチャイ屋を営んでました。口癖は「口やかましいトルコ人と思わないでね♥」
二人目は旅行代理店のセルジュクさん。こちらは岐阜県に友達が多いらしく何回も訪れたとか、東京にはシングルマザーの彼女さんがいるとかツッコミ所満載な人でしたが、
二人共が共通して話していたのは、4年前頃から日本人観光客はほとんど来なくなって
寂しい、ということ。確かに去年は空港で爆破テロや軍事クーデターで危険な事が起こるというイメージが付いてしまったのも否めません。
それでも自分にとっては人々の温かさに触れ、世界の歴史を感じることができた心に残る街、イスタンブールでした。
二国間の関係に目を向けると、明治時代のエルトゥールル号遭難事件やテヘラン邦人救出劇など長い時を経ても結びつきが強いことを知ることができます。
以下、各街角の写真です。
トルコ料理サイコー!
トルコのパン(エクメク)はシンプルだけど美味しい!
チャイとも切っては切り離せない!
パーティー用等のドレス屋
水タバコ(シーシャ)屋
ランプ、金属食器屋
キブツ生活 回想編① キブツで振る舞った日本食🍙
キブツサマールでは、機会があるごとに日本食もガンガン作り、
みんなに紹介したり振る舞ったりするのが楽しみの一つでした。
ここではこれまでに作った日本食とともにキブツの生活も
少し紹介したいと思います。
まず先に言うと、お粗末ながら自分が作った日本食は
どれもウケました。レシピも聞かれたり、人気があったものは何回も作りました。
幼少期から料理を教えてくれた親に感謝です。料理の腕って世界中どこに行っても
力を発揮します。
それではまず一品目からどーぞー(^^)
【卵焼き】
これは大人から子供まで大人気で、テーブルに置いては飛ぶように
消えて行きました。マジで。
しかし、キブツに来てしばらく知ったのが、
「イスラエルにはベジタリアンやビーガンがもの凄い多い!!!」ということ。
親の影響なのか子供もビーガンという家族もいました。それもどうなんだウーン😐
と思うかもしれませんが、とにかく菜食主義者が多い国!それがイスラエル!
仮に10人20代の若者集めたら、半分はベジかビーガンなくらいの高い割合。
ということもあり、使う食材にはその後だいぶ慎重になりました。
毎2月のペースで自分のような国際ボランティアだけで夕飯を準備から厨房の片付けまで全てやる日がありました。
そのおかけで各ボランティアが作る様々な多国籍な料理を食すことができました。
ハンガリーのスープ、ポーランドのリンゴ入り餃子、中華、ドイツのジャガイモ料理、中南米のサラダ、フレンチクレープなどなど(o^^o)
【お好み焼き】
二品目はお好み焼きです。
卵焼きの際の経験を踏まえ、もちろん卵肉無し。というかイスラエルで豚肉はちゃんとしたミートショップに行かないと入手困難です。
まずは水だけで生地を作ります。焼きそばもないので、米でできた春雨麺を代用として入れることもありました。
キャベツはどっさり、もやし、ネギ、玉ねぎとにかくビーガンビーガンなお好み焼き!
でもこれがまたうけるウケる!
お好み焼きも大人気。
「これは本当に日本食なの?!」と聞いてくる人もいて、
イスラエルでは基本日本食と言ったらミソスープとお寿司だけだと思ってるから
困ったもんだ(笑)
イギリスと南アフリカのボランティアにもカッティングを手伝ってもらう!
肝心なソースは?と思うでしょう。
それは超テキトーに醤油やスウィートチリソースをまあまあの按配で混ぜ少し煮込んだだけのもの.....( ̄▽ ̄) 以上。
【インスタント漬物】
三品目。これは本当お手軽なので何回も作りました。
きゅうりとかかぶを切って袋に入れて、昆布だしを振りかけて、
バッサバッサと振ってしばらく置いて完成!
いやイスラエルのどこで昆布だしを入手できるんだと思うかもしれませんが、
キブツで自分のホストファミリーになってくれた家族は大の日本通。
9歳、19歳の娘も梅干しをご飯と一緒にモリモリ食べてました。
両親はまだ結婚する前の90年代前半に日本を北海道から鹿児島まで旅をして、
幾つかの出会いの末、鹿児島串木野の山奥の住み込んでお寺を建てたり、
高野山の胡麻豆腐屋でバイトしたりしてた二人でした。
ということで、日本には毎2,3年のペースで訪れているし、
今もお寺から出汁や味の素、お茶漬けの素、あんこにきな粉、天ぷら粉、乾燥紫蘇など
いろいろ届くわけです。
毎週シャバットの夜は家族や近所の人を集め、夕食会。
その度に彼らといろんな創作日本料理も作りました。
【五平餅】
今まで日本でも五平餅は作った試しがなかったのですが、
ある冬の日、ホストの家の庭で焚き火をしていて白米が余っていたのでふと思い付きやってみたのが始まりです。
その後、計3回やったのかな。
ボランティアの送別会、 キブツの子供向け、自分の送別会でなど....
キブツでは焚き火すると必ず人が集まります
タレは醤油と砂糖だけを煮詰めたものの超お手軽激甘テキトーソース。
本当は味噌も入れれば味にも深みが出てより良いのでしょうが、味噌は
イスラエルでは高いので最後まで使いませんでした。
自作した五平餅の宣伝ポスター
ですが、この激甘ソースが子供にはこれまた大ウケ。
BBQ用の串に自分たちで潰した米を付けさせ、好きな形にして表面焼いて、
タレを塗って、はい完成!
ただ親は子供が手や服を米やタレでベタベタにしてくるから大変だー!(笑)
【ちらし寿司】
これをまた誰も寿司の一形態だと言っても、信じてくれないから
説明するのに苦労しました( ̄▽ ̄)
寿司スシSUSHI。。。というものは彼らにとってまず魚やネタがシャリに乗った
ものでないと寿司という日本食のイメージから大きく外れてしまうというのが
良くわかりました!
作った時も、散らすものは寿司太郎の他に、人参、アボガド、お汁のために出汁を取った後の昆布、炒りごまくらい。錦糸卵は別の皿に盛ってビーガン対策も万全!!!
他にインスタント漬物と出汁を醤油で味を整えたお汁、豆腐の炒め物。
13人分の食事をほぼ全部自分で作り切りました。
子供は錦糸卵だけをばくばく....とりあえずお粗末さまでした〜!
シャバットシャローム!!!
【番外編】
ナツメヤシの農園では始業が、0500や0600と時期によって違いはありましたが、
とにかく朝から早いので1000から1100まで朝食時間がです。
とにかくみんな飯が楽しみでなりません。日本の小学生かまるで!
朝食を作る係は特に毎日やると決まってはおらず、ローテーションでいろんな人が
二人組でやります。自分も希望を出したり、急遽前日に頼まれたりすることも
ありました。そこでもお好み焼きや卵焼きは簡単なので作りました。
豆腐20丁分!大型鉄板で豆腐と野菜炒め作ります
ところでイスラエルのスーパーで豆腐は買えますが、
日本のとの違いはその硬さ!分厚いチーズのようにずっしりと重く包丁で切るのを一苦労しました。。。
こういうのは煮込みや炒め物が合いました。
これはボランティアで食事当番したときのナ◯シカに登場するあの巨大キャラ
に似せて春雨炒めを盛ったもの。イスラエルでもジブリシリーズは人気ですが、
ナ◯シカはあまり知られていませんでした。なので、折角頑張ったのに、
誰にも気づいてもらえず.....
でもみんなうまい美味しいって言ってくれたよ!(⌒-⌒; )
次回は回想編日本のイベントに関して書こうと思います!
それではまたまたー
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!イスラエルに帰国だよ!(Final Day)
シナイの旅もようやく最終日。
モーゼ山から朝日を無事拝めるわけですが、
美しい景色に言葉は要らない!多くを語る必要もない!
という自分の持論を展開し、写真メインでいきたいと思います。
東の空が真っ赤に染まってきました...
【モーゼ山頂上へ】
チャイ屋から山頂までは約30分ほどとイブラヒムから聞いていたので、
麓から登る人よりかなり余裕を持っての出発です。
05:00 外は夜中になって登ってきた月明かりで周りは青く見えます。
それでもヘッドライトは必須。
時折、地元からなのか地方からなのかエジプトの若者も登りにきているようで、
目が合うと挨拶してくれます。
他には、中国人(恐らく)のオバちゃんたち、ウクライナやロシアなどの東欧と欧米からの観光客少々と山頂にはそれほど人は多くありませんでした。
日の出直前の山頂からの景色
時折、山頂直下のチャイ屋からベドウィンが寒さしのぎのために
毛布の貸し出しをしています。
頂上の修道院
途中、大学で日本語を勉強していたというウクライナ人から話しかけられながら、
待っていると太陽が上がってきました。
観光客が少ないのでなかなか静かなシチュエーションの中、眺めることができました。
チャイ屋の兄ちゃんの話だと、IS等のテロ行為による影響で観光客が減るまでは、
500~1,000人ものひとが来ていた時期もあったそうです。
これまで歩いてきた方角を見渡しながら、トレッキングのルートや思い出を振り返ります。
中国人のオバちゃんたちは若手のベドウィンに再び手を引かれて山を降りて行きました。
自分たちが寝たチャイ屋に戻るとイブラヒムは「おおーどうだった??」という
感じで茶しばいていました。
山を降りた後は、聖カトリーナ修道院にも立ち寄る予定があったので、
どんどん降りて行きます。
背後にモーゼ山が見えなくなってきた頃、麓に要塞のような壁に囲まれた
教会が姿を現しました。
聖カトリーナ修道院は、キリスト教正教会において世界最古の修道院でありながら、
現在もその機能を継続させている、エルサレムに次ぐ聖地の中の聖地。
修道院図書館はバチカン図書館の次に世界中の初期の写本や資料、手記の収集物を
収蔵しているとのことです。
全体像は映画のセットのようでカッコ良く、周囲の壁は映画「薔薇の名前」や「トロイ」を思い起こさせます。
入場は無料ですが、修道院の本の一部しか見ることができず厳格に規律を守っているようでした。
イブラヒムに聞くと、欧米各国からの修道僧や地元のベドウィンも一緒に働いているとのことです。
修道院を出ると駐車場には、懐かしき「監督」が車で来ていました。
6日前セントカトリーナ村に着いたことがまるで何週間も前のように思えます。
一旦フォックスキャンプに戻り、ガイド料や手数料を支払い少し村へ足を伸ばしてみます。
シナイで唯一買って帰りたかったのが、カフィーヤ(ターバン)。
しかもお土産屋ではなく、地元の布問屋とか雑貨屋で。
寂れた村でも必ずそういった店の一軒や二件はあるもの。
ようやく見つけ、キブツから持ってきたクスクスも値引きのために差し出し
50ポンド(約300円)で購入できました。
帰りは同じバンで同じようにハメッドがガンガン道路を飛ばしてタバ国境まで
帰ります。途中、お金を下ろすのとシュークに寄るためにヌエバという街により、
ついでにハメッドにコーヒーをご馳走になります。
ベドウィン風のカフェ&チャイ屋
エイラットに着く頃には17時を過ぎ、暗くなってきました。
再入国審査は特に問題なく済み、あっさり帰ってきました。
ちょうどキブツメンバーの人がエイラットの街にいたので、国境出た場所まで
車で迎えに来てくれて本当助かりました。
ありがとうイブラヒム、社長、監督。そして山中で出会った数々のベドウィンたち。
また会える日まで。
インシャアッラー!
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 5th.)
皆さんこんにちは!シャローム レクラーム!
シナイの旅もいよいよ大詰め。
5日目の夕方になりようやく目的地のモーゼ山が見えることろまで来ました。
ベドウィンのご馳走とハシシの煙に巻かれた宴会から一夜を明け、自分たちは二人だけで裏山に登り朝日を眺めに行きました👇
朝日は美しいが、壮大な山岳風景にも慣れて感動の気持ちが下がってきた...笑
【長い峠越え】
小屋に戻ると他のベドウィンも起き、外で茶をしばいていました。
チャイと簡単に朝食を済ませ、彼らに別れを告げ出発です。
今更ですが、アマリーヤさんの家がある谷間の名前は、
Wadi Zuweitin ワディ・ザワティン。
Wadiとはアラビア語で「乾いた川」という意味。イスラエル南部には今もワディ何々という地名がたくさんあります。そしてZuwaitinはオリーブ。ヘブライ語ではザイティームと言い良くに似ています。文字通りここにはオリーブの樹がたくさん生えていました。
イブラヒムに聞くと樹齢700年のものもあるらしく、はるか昔にベドウィンが植えたものとのことで、今日ではアマリーヤさんが樹の所有者みたいらしいです。
極度に乾燥した大地でも力強く生きるオリーブの樹
今日もこれまでと変わらず、谷間をテクテクと下がったり登ったり...
ロバのナチュラルな剥製が....( ̄Д ̄)ノ
山の奥のまた奥にもひっそりとベドウィンのお爺さんたちが住んでいました。イブラヒムはこうやってガイドをすると同時に彼らへ村からの物資(薬とかタバコ)を提供するという重要な役割もありそうです。
一緒にチャイを飲んでいる間、イブラヒムは山の中で孤立した彼らに最近の様子を
伺ったり、体調を聞いたりしていました。そして、薬やタバコ葉っぱをあげる代わりに
彼らの一人からタバコ用で手製の木製パイプを受け取っていました。
生活がシンプルなだけに物々交換というシステムが成り立っているのでしょう。
これもまたベドウィンが厳しい環境の中でお互いを助け合い、生きていく為の術だと思います。
かなり高齢なベドウィンのお爺さん ひっそりと山の中で暮らしていました
シンプルで質素な生活とは言え、薬等の物資も十分になく、誰かに届けてもらわないと入手ができないような場所でもしっかりと生活を刻み生きています。
なんとしたたかなことでしょう。
心配な気持ちがありつつも我々はお爺さんを後にして先に進まなくてはなりません。
だだっ広い開けた地形になってきて、ちょっと地図でトレイルを確認していると
イブラヒムはおよそ道があるとは思えない岩山へばりつくように登って行きました。
トレイルや踏み跡さえもない左方面へ進んでいく....
3人でお互い引き上げたりしてなんとか岩山を登り切ります。
いやー誰も滑落しなくて良かったよかった( ̄Д ̄)ノ
大きな岩の上で休憩です。
自分は前日やこの日の行動記録をメモ帳に記します。
横ではイブラヒムは午後のお祈り中。それから当然巻きタバコ。
風が吹けば汗がすぐ乾いてしまうほどの爽やかがあります。
岩壁にミニ氷瀑を発見!カッチコチの氷、すっげえ分厚い!
岩山を登り切ってから、峠に着くまでが長かったのなんの...
峠寸前でパートナーがエネルギー切れになりそうになったので
急いでナツメヤシを食べさせ、出発から4時間かかり峠に到着!
そこで待っていたのは正面にモーゼ山がドーーーン!
単独山というより巨大な一枚岩のような容姿をこれでもかというほど
太陽光を反射させこちらに見せつけてきます。
聖書によるとモーゼが400年間奴隷にされていたユダヤ人を救うためエジプトを脱出した後、たどり着いた山中で神からイスラエルの民のために十戒を授かったとされる
聖なる山。
中学生の頃、世界史の資料集で見た山が今自分の目の前にある。
感動ものです。
山を眺めながら遅めの峠ランチ!
モーゼが授かった十戒とは以下です。
1.ヤハウェが唯一の神であること
2.偶像を作ってはならないこと(偶像崇拝の禁止)
3.神の名をみだりに唱えてはならないこと
4.安息日を守ること
5.父母を敬うこと
6.殺人をしてはいけないこと(汝、殺す無かれ)
7.姦淫をしてはいけないこと
8.盗んではいけないこと
9.偽証してはいけないこと
10.隣人の家をむさぼってはいけないこと
ちなみに映画「エクソダス 神と王」では、モーゼが山中で神と思われる者
に話されながら、十戒を石版に刻み込むシーンがあります。
【峠から麓の村へ】
ということで、モーゼ山を拝めたもののこの日のトレッキングはまだ終わりません。
この峠から一気に山を降り、そして山の中腹にあるイブラヒムの友人がやっているチャイ屋まで行かなくてはなりません。
一時間半かけて降りたところで、谷底に小さな村がありました。
ここにイブラヒムの友人が住んでいるというのでモーゼ山に登る前に
夕食を兼ねて休憩です。
モーゼ山の麓に位置する小さな村
外の庭で座っているとこの家の嫁らしき女性が現れチャイを提供してくれました。
しばらくして現れたのは、ものスゴイ肝っ玉母ちゃんな雰囲気を漂わせる
女性と孫の女の子。
この母ちゃん、嫁らしき人に砂糖を持ってこさせたり、チャイ台を動かさせたり指示をあれやこれや出して働かせています。
イブラヒムもタバコをすかさず巻いて渡すなど、かなりの権力者のようです囧
肝っ玉母ちゃん タバコを口に運ぶ度ジャッラビーヤ(ムスリム服)を捲り上げ、器用に吸っていた
【モーゼ山入山】
20時頃までコーヒーや楽器演奏などしてたっぷり休んだので、そろそろ行こうやとイブラヒムに告げると、
ここが快適だから残りてぇなぁと言い出します。
......いやいや最後までガイドしてくれや!笑
外はすでに完全な闇。ヘッドライトを装着します。
出発するとそこはもう満天の星空が広がっていました。
微かに姿がうかがえるモーゼ山は闇の中では昼間よりも巨大に見えます。
遠くが見渡せるところまで少し登ると遥か地平線にポツポツと村の光が
見えています。
一時間ほど歩くと目的地のチャイ屋に到着しました。
友人は電波の悪いラジオを流しながら、土間で乾燥したアヘンを
刻んだりしていました。
小屋の奥に通され、ロウソクを何本も立てて寝床を整えます。
次の日の早朝は、ついにモーゼ山の頂上へ!
どんな朝日が見れるのか期待を胸にシュラフに体を潜り込ませます...
ライラトーブ
シナイ半島・モーゼ山に行ってきたよ!(Day 3rd. 日帰りトレッキング)
アッサラームアライクム
シナイの旅の3日目は一日トレッキングです。
イブラヒムの庵と自分たちが寝た離れの岩小屋に食料や荷物はデポして、
水や昼に食べるピタや野菜などだけを持って歩き出します。
その前にとりあえずはおきまりのチャイから....
中東でもよく飲まれるチャイ(アラビア語ではシャイと発音)は、インドやネパールのように鍋で煮たせてから茶漉しを通してコップに注ぐのではなく、沸騰したヤカンに茶っ葉と砂糖をたっぷり入れて、茶っ葉ごとコップに入れていきます。茶っ葉は味が出ていくにつれて沈殿していきそのあと飲むので、注いでから少し待つ必要があります。
お湯が熱くなっていないと茶っ葉が沈殿しにくくなるので、よく沸騰させるのがコツです。
【トレッキングへ】
昨晩のスパムご飯で朝食を済ませ済ませて、トレッキングに出発です。
谷間を抜けて別のトレイルを進みます。
赤肌の岩山が延々と続き、高所に登ると山岳地帯が途切れ砂漠がはるか彼方に見えています。これほどの大自然、もう何千、何万年と変わっていない違いありません。
古代のエジプト文明からも遠く、大きな文明が栄えたわけではありませんが、
巨岩の下に石が積まれ何かの貯蔵庫か寝床のように作られている場所や古井戸、点在する村々など確かに人々が延々と歴史を刻んできた痕跡や証が今でもあり、携帯電話やガスコンロ以外、自然と同じく何千年もほとんど変わらない生活をしているのだと思います。
しばらく歩くと畑が見えてきました。
キレイにビシッと畝が作られ、何かを栽培しているようです。
聞くとイブラヒムの秘密のタバコ畑で、大麻草も少し植えているとのことです( ̄Д ̄)ノ
畑では畝の上ではなく四角の中で育てていました。ベドウィンは生計を立てるためにもこういった畑や自分の庭を山の中に所有しています。
ホダリーという植物はニコチンやタールはないけど葉巻的な味を楽しむことができるそうで、家でも簡単に栽培可能なためビジネスにする人もいるとのことです。
畑のチェックに抜かりがないイブラヒム!
たくさんタバコできるといいね!
しかし自前のタバコ栽培でも問題はあります。
巻きタバコとして使うためアルミ缶や袋に入れ保管するのですが、ハタからすればどう見ても大麻のように見えてしまいます。なので、街に出るときはちゃんと市販のパッケージものを購入すると言っていました。ベドウィンの生活を支えるために重要なホダリー栽培ビジネスですが、政府の許可がないためこういった山岳地帯で密かに作るしかないので現状のようです。
岩陰で休んでチャイを沸かしたり、テクテクと静かな天気の中岩山を越え、誰かの果樹園の中を突っ切り、行けるとこまで進みます。
するとイブラヒムが徐ろに腰巻にしていたカフィーヤ(アラブのターバン)を地面に広げ、草をむしり取り始めました。
これ何なの?と聞くと、
「これはアシャーブと言って乾燥させてお湯で飲むと咳などに効く薬草なんだ。」
と言います。
もうトレッキングそっちのけで無心になってむしっているので、
自分らも手伝うことにしました。
ここである疑問が湧いてきます。
「........今日はトレッキングでなくて、イブラヒムの手伝いに駆り出されたんじゃね?」( ? _ ? )と。
イブラヒム曰くこのアシャーブ、英語ではヘルパスと呼ばれるらいです。
手で揉んで嗅ぐと、鼻がスーッとするような香りでミントに近いのかなと
思います。
ある程度収穫したようなので、歩き出します。
アシャーブは日がよく当たる場所より岩陰によく群生していた
【ランチ】
開けた場所に着きました。
どうやらこれまでにもたくさんのイスラエル人観光客が来たらしく、
石を並べてヘブライ語で名前やメッセージを書いてあるのがそこらじゅうに
点在しています。
おきまりのポーズ(^ω^)
ここで昼の休憩にするというので、自分たちも散策します。
戻るとイブラヒムはまったりタバコを吹かしていましたが、
なんか食べようやと言うと薪拾いをし始めました。
ある程度置き火ができたところで、イブラヒムは火を
ズズズーっと少しどけます。
何をするのかなと見ていると、持ってきたピタを熱くなった地面の上に
バッサバッサと置いていきます。
冷えたピタを温めて再び柔らかくするためやったんか!!!
またベドウィンのスキルはどれも感動モノです。
この技は日本のキャンプ場や河原でも使えるはず!
裸足になりゴロゴロしたり、イブラヒムの歌に聞き入ったりして過ごします。
締めにチャイを飲んで帰路につきます。
【帰り道】
来た時アシャーブを収穫した場所で
彼はまたまたむしり取りだします。
日も沈んできてやれやれと思いつつもガッツリお手伝いをします!
三人とも無言でやっていると、
突然、岩陰からベドウィンが現れました!
まるで地面から湧いて出てきたかのような感じだったので、さすがに
少しぎょっとしてしまいました。
どうやらイブラヒムの友人。彼もアシャーブを大量に取っていました。
よくムスリムが来ている足まで長い白い服(ジャッラビーヤ)の前の部分を
うまい具合にポケットのように使い薬草を抱えていました。
そしてそれを全てイブラヒムにあげちゃって去って行きました!なんでー!?!?
いろんなことを理解できないまま若ベドウィンはまた岩の向こうへ消えました...
帰り道トゲトゲしい草が歩く場所を邪魔しているというので、火をつけた!笑
合計3キロほど収穫したアシャーブは一度岩の小屋でカラカラになるまで乾燥させてから村で売るとのことです。
月が光出してきた頃、岩小屋に到着。
この日の夕食はトマトソースのマカロニ煮込みでした。
うーん野菜がたくさん入っていい味が出てる。
この日もたっぷり星空を見た後、
岩小屋にろうそくを灯し寝床につきます...
シナイの旅4日目は他のベドウィンと宴会にちゃっかり参加!
それではまた!シャローム!