エルサレム旧市街へ ① 嘆きの壁
みなさんシャローム!
イブ爺ネタはもうコリゴリされたのと思うので、
エルサレム旧市街のことをまとめたいと思います。
しかしこの投稿だけでエルサレムの今昔を全てをまとめることは出来ないので、
自分の足で稼ぎ見て、聞いて、感じたことをそのまま書きたいと思います。
また、投稿内のいかなる言葉も私の個人的な感覚で表現するだけに留めるもので、
宗教的な意味、特定の宗教や民族への優位性・劣性は全く含んでいないということを最初に伝えます。
朝日を浴びる旧市街城壁と黄金のモスク 手前はユダヤ教徒の墓
奥に新市街のビルが見える
[ エルサレム Jerusalem القدس ירושלים]
ジェルサレム、ヘブライ語イェルシャライム、アラビア語アル・クドゥス(神聖)。
これまでも何度もネットはもちろん教科書や世界史資料で見てきた場所。
死ぬまでにいつか必ず訪れてみたい場所でした。
ここはご存知キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の全ての信者にとって聖地。
市街の至る所に聖地と言われる場所があり、日々多くの信者が訪れ祈りを捧げ
そして宗教間の問題や軋轢も生んでいる聖地です。
実際には、旧市街内はキリスト教地区、ムスリム地区、ユダヤ人地区と
アルメニア人地区の四つに区分けがされています。
過去4000年という長い間中、虐殺、侵略、聖地奪還、民族復興・誇り、そして神の名の下に数え切れないほどの戦いの舞台となってきました。
現在でも狂信的な信者が自爆テロ事件を起こしたり、同じキリスト教でも宗派の違いで
教会内のどの区域を掃除するかが火種になりもめ事に発展することもありました。
シャアル・ハ・ラシャミム 黄金門
三つの宗教ともに救世主はここからエルサレムへ入ってくるとされている
[嘆きの門 הכותל המערבי(ハ・コテル・ハ・マアラヴィー)]
このあまりにも有名すぎる壁はユダヤ教徒にとっては最大の聖地であり、
また壁の奪還をめぐり中東戦争も起きています。
現在は、壁がある広場へと通じる通路は全てセキュリティーチェックを受けなくては
入れません。
また至る所にイスラエル国防軍や武装したPoliceが警備に当たっています。
ユダヤ教は男尊女卑であるため祈りを捧げる場所は男女で分かれています
左:男性 右:女性 右端のスロープは観光客が神殿の丘に入るための唯一の入り口
嘆きの壁に位置するユダヤ人地区には13世紀からユダヤ教の律法学者が住み着いていました。1948年の独立戦争でヨルダン軍が支配することになりましたが、1967年のシックデイズウォー6日間戦争によってユダヤ人は実に約1900年間にも及ぶ悲願が達成されました。
また嘆きの壁の由来は石の間に溜まった夜露が、壁に生えたヒソプの草を伝って落ちるため、それが数々の迫害や苦難を受けてきたユダヤ人の姿を写すようであるということから、いつしか「嘆きの壁」と言われるようになったと言います。
正統派のユダヤ教徒
自分も壁へ近づき信者が祈りの言葉を一心に捧げているのをずっとそばで
眺めていると、バラナシ・ガンジス川の火葬場で遺体が燃えていくのをひたすら
に眺めていた時と同じ感覚に浸っていることを思い出しました。
神聖な場所で祈る姿は自分にとって感動するという気持ちを飛び越え、無心にさせます。また自分には関係がないのにその場い、雰囲気に浸っていると
不思議と心地良く安心する気持ちにもなります。
文化や宗教、言葉、民族の壁を超え、神聖な空気というのは何か人類共通の普遍性が
必ずあると思います。
ユダヤ教の中でも超正統派ハレーディのおじさんと
旧約聖書にもみあげは体の神聖な場所と書いてあるらしく生まれてから
一度も切らない
夜は夜で壁や神殿の丘の岩のドームがライトアップされ綺麗です。
自分がエルサレムにいた時ちょうど軍の一定期間の訓練を終えた兵士の
宣誓式を執り行っていました。
警備中の一人に聞いたらこれからまた長い訓練をするにあたり国家に忠誠や宣誓をするために大勢兵士が集まっているとのことでした。
兵士とその家族
もともとユダヤ人地区は紀元前8世紀以来ユダヤ人が断続的に豊かな歴史的経済経験を積み上げてきましたが、1948年ヨルダン側が統治しアラブ人が住んでいた場所を6日間戦争での勝利後、取り壊し新たに整備してきた地区です。
ムスリム地区とは異なりバザールのような喧騒はほぼなく綺麗な住居、ギャラリーやカフェ、レストラン、本屋があります。
この整備が行き届いた地区は長い悲劇的な歴史と戦いの果て多くの犠牲者があった上で成り立っていると思うと複雑な気持ちになります。
城壁内の宿屋上からドームと奥のオリーブの丘