イスタンブール 6/18 - 6/21 モスク編
メルハバ!
ところでトルコのカッパドキア滞在中に、2年前にトルコ・日本友好125年の記念として公開された邦画「海難 1890」を観ました。
人命救助に携わるものとしてエルトゥールル号の話はトルコの消防署では絶対らしいです。
エルトゥールル号とテヘラン邦人救出劇の話をすると知らなかったため驚く人も
いれば、非常に嬉しがって話をしてくれる人もいました。
さて前回はイスタンブールの街角について、今回はモスク!
モスクいきますよ!飽きるくらい写真も載せます笑
イスタンブールに来たなら訪れないわけにはいかない場所....
中学時代に資料集で見た時から夢見ていた場所....
ジャーミー!(トルコ語)
モスク!(英語)
マスジッド!(アラビア語)
ミスガッド!(ヘブライ語)
清真寺!(中国語)
金角湾対岸から望むイスタンブール
市街地にも郊外にもモスクは至る場所に有り、ミナレット(尖塔)が目立ちます。
因みにかつてはミナレットに人が登り肉声でアザーンを言い礼拝の呼びかけをしていたとのことですが、今日は全てスピーカーです。
しかし現代トルコ社会では流すのはアザーンだけに限りません。
その地域の誰かが亡くなったらそのお知らせは全国レベルで、村などでは納税義務の周知、駐禁車の移動指示、落し物の連絡なども放送するとのことです!
うーむ宗教的な意味だけでなく、市町村の皆様へのお知らせ的な役目もあったとは
知りもしませんでした。モスクのことがさらに好きになりそうです...( ̄^ ̄)ゞ
フェリーでガラタ橋へ進むと左方面の丘の上にデーンと見えてくる巨大なモスクが
それです。
国旗すぐ左がスレイマニエモスク
〜以下、ウィキからの情報です〜
これはオスマン帝国第10代君主スレイマン一世の命により、7年の歳月を掛けて1557年に完成したものです。遠くから見る美しさもさることながら、礼拝堂としてだけでなく
マドラサ(イスラム世界における学院)、医学学校、病院、給食所、宿泊所、商業施設、ハンマーム(大衆浴場)など、多くの付属施設を持ち、複合施設群を形成しています。🔚
モスクに入る際、入り口からイスラム教徒と非イスラム教徒で区別をされ、
一般観光客は無料でスカーフや簡易トラウザ、腰巻を借りることが可能です。
入場料も無料です。
正面より
取り囲む回廊の柱や天井の細密画が美しい
見上げつつも同時に傅かずには居られなくなってくる程の幾何学紋様
メッカの方角(キブラという)に向けてミフラーブと呼ばれる窪みがある
モスクの庭から金角湾、ガラタ地区を見下ろすことができる
黄昏時のスレイマニエモスク
上の写真にもあるように、丘の上にあるため庭からの景色が良く、夕暮れ時には
カップルや家族連れが多く集まったりしていました。
【スルタンアフメト・モスク〜世界で最も美しいモスク】
ボスフォラス海峡対岸からでもその優美なミナレットがはっきりと見え、通常の4本ではなく6本もあるのが特徴的です。モスクの壁は白地なのに対し、屋根は青の色調で統一されている美しさから別名『ブルーモスク』とも呼ばれています。
オスマン帝国が栄華を極めたことが見るだけでガンガン伝わり、
またモスクの巨大さや完璧なまでの対照的なデザインに圧倒されます。
しかし、じっと眺めているとなんかこうガ◯ダムのズ◯ックの頭部に見えてくるのは、
自分だけではないと思いますが。どうでしょうか...
嘘か真かラ◯ュタの城のモデルにもされたとか。
それもどうでしょうか....
はい、とりあえず見てください!
「口やかましいトルコ人だと思わないでね❤︎」が口癖のジャンが
連れてきてくれたSeven Hills Hotelの屋上から
上記のSevel Hills Hotelの屋上レストランからの眺め。
みなさんここは隠れスポットですよ!レストランで食べなくても、ホテル宿泊者でなくても、「屋上に上って景色を見たい」と言うと快く通してくれます。
ここからの景色は圧巻そのもの。スルタンアフメト・モスクとアヤソフィア両方が目の前にバーンと見えるだけでなく、海峡からマルマラ海、対岸のユスキュダルやカラキョイまで360度の大パノラマを拝めます。
訪れた際は是非、Sevel Hills Hotelの屋上へ!
夕暮れ後のブルーモスク
この時のトルコはまだラマダーン期間中でした。
それに関してジャンは巨大なモスクがライトアップされる理由を次のように教えてくれました、
「日没後によってラマザーンは終わるけど、場所によってはモスクからの知らせが聞こえず気づきにくい人もいるわけ。そういう人の為にライトが点いたら飲食を再開してもいいと遠くからでも分かるようにジャーミーをライトアップしてるわけ。」
ふむふむなるほど!これは勉強になりました。
【アヤソフィア】
Seven Hills Hotel屋上より
言わずと知れたトルコに限らず世界を代表する巨大建築物、ビザンティン建築の傑作。
スルタンアフメト・モスクと同様、誰もが一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。
元来は正統派キリスト教の大聖堂であり、その歴史は4世紀まで遡ります。
〜以下、ウィキより〜
東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の所在地であったが、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。その後は1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりモスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となり、後に世俗化された。1935年2月1日から博物館(トルコ語: Ayasofya Müzesi)として使われている。🔚
そう実はかなり昔から博物館になっているんです!
他のスレイマニエもスルタンアフメト・モスクもしっかり礼拝堂としての
機能を果たしているのに対して、アヤソフィアは博物館。
ということで、入場料が発生します!40TL(約1,200円)!
正直、そんなこととは露知らず他のモスクと同様自由に出入りできると
思い込んでいたのでゲートで料金パネルを発見した時はギョッとしました。
ミナレットの一本が煉瓦造りになっているのも特徴的
茹でトウモロコシをかじりながらどうするか二人で考えた結果、
次回にすることに!笑
東ローマ帝国ユスティニアヌス帝は537年の献堂式の際、古代イスラエル王国のソロモン王が建てた神殿をも凌ぐ美しさや偉大さを兼ね揃えた建築物であると賛し、
「ソロモンよ、我は汝に勝てり!」と叫んだと伝えられています。
Seven Hills Hotel屋上より 二つを同時に見れてニヤニヤが止まらない!
金角湾の出入り口付近よりアヤソフィアを除く
ここでこのモスクの歴史全てを語るには荷が重いですが、実物を自分の目で
確かめ、感じるということが歴史を知るのにどれ程大切かを再認識しました。
時代、宗教や支配者を越えながら修復や増築を繰り返し、
今の私たちに人類の創造的才能を表現する傑作と言えると思います。
どうだったでしょうモスク編。
次回は、奇岩群でお馴染みのカッパドキアについてお伝えしたいと思います。
またより詳しく東ローマ帝国の栄枯盛衰、オスマントルコへどうその時歴史が動いた!
かを知りたい方はイタリア史に精通した塩野七生氏の『コンスタンティノープルの陥落』👇を読んでみてはいかがでしょうか!
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ではギュレギュレ〜!