エルサレム旧市街へ③ 聖墳墓教会 イエスの墓へ行ってきたよ!
早朝は快適の一言ですが、日中は40度超えです( ;´Д`)
しかし湿度が極端に低いため、汗はそれほどかきません。
代わりに水をどんどん飲まないと脱水症状になる危険性があるので
常に水の携帯は必須です。
イスラエルには路上自販機なんてものはないのでこういう時にだけ日本レベルの自販機の有り難みが分かります!(笑)
エルサレムシリーズ最後の投稿は、
キリスト教にとってもっとも重要な巡礼地、聖墳墓教会<Church of the Holy Sepulchre>
です。
最後の晩餐
鞭打ち
十字架の釘つけ
そして復活.....
これらは全てエルサレムにあります。
最後の晩餐の部屋は城壁外にあり、ダ・ヴィンチの名作に描かれた場所とは
似ても似つかないそうです。
教会の入り口 アラブ人やムスリムは来ないが中は連日教徒で
混雑している
神殿の丘や嘆きの壁と比べなかなか辿り着きにくかったです。
一応、路地にサインがあり方向を示してくれてはいますが
これが分かりにくかったです。
ウロウロしていると、アラブ人の爺さまが
「お前どこへ行くんじゃ?」と。
「教会へ行くよ」というと、
よし来たわしについてこんかい!と言わんばかりに案内をしてくれました。
しかし教会入り口付近に到着すると
案内した代わりに5シェケルを渡せという。
すっかり初歩的な手口というかよく有りがちな「親切心」に引っかかってしまいました(笑)
今度聞かれたら「あなたの家!」とでも言ってみようか...
兎に角教会へいよいよ入りますが、まずは下記の教会内の宗派ごとの区分けを載せます。
区域は広い順に
薄青:ギリシア正教
薄緑:エピオピア正教
薄紫:ローマ・カトリック
薄黄:アルメニア正教
薄ピンク:コプト正教
薄茶:シリア正教
というように分かれています。
これによりそれぞれの宗派の教徒は自分たちの区域に行くのにも
どの柱を抜けて辿り着くなど厳格に決められているそうです。
因みに、各派が門の所有権を争っているために、毎朝入り口の門を開けるのは
アラブ人少年の仕事になっています。
詳しくはyoutubeで!!!👇
まず入り口に入って目に入ってくるのが、香油を注がれた石です。
イエスの絶命後、十字架から降ろされその聖骸に香油を塗った地点だと言われています。
自分のようにただの観光客だけではなく、ここでも石へ跪き口を付け、
熱心に祈りを捧げる信者が続々と訪れます。
イエスが磔刑に処されたゴルゴタの丘のゴルゴタはしゃれこうべという意味を持ち、
埋葬れた丘の地形が丸い頭蓋骨の形に似ているからとも言われています。
また、聖書で人類最初の人間とされるアダムの頭蓋骨が埋葬されているとも
言い伝えられている、らしいですε-(´∀`; )
モーセもイエスもムハンマドも神と崇められている者には逸話や伝説が付き物です。
これは世界共通と言えるのではないでしょうか。
聖骸布もロンギヌスの槍も香油の石もたとえそれが本物であろうが、なかろうが
「そう言い伝えられている」「そういうこととされている」というだけで
長い歴史を刻むうちにいつしか聖地、信仰の対象となったのだとも思います。
イエスの墓は当時洞穴だったとされているが、現在は大理石の彫刻やビロードの布が
蝋燭の光に照らされ幻想的な空間になっていますが、
人の多さからガヤガヤとしていて有り難みは激減している雰囲気は否めませんでした
( ;´Д`)
イエスの墓に注ぐ光 周囲は行列ができている
世界三大宗教のそれぞれの聖地を巡りましたが、
個人的には神殿の丘&岩のドームが一番好きでした。
しかしどの宗教が優れているか劣っているかという問題は愚問。
神の教えを守ることや信仰の大切さ伝統を守り続けること、
これらはどの宗教にも共通し目に見える見えないに関わらず
美しいものだと感じました。
エルサレム...
様々な人類の歴史と宗教の街
対立を産む聖地の中心地
エルサレムを訪れるということは、歴史の生き証人に会うことに
等しいのかもしれません。
レヒトラオート
エルサレム旧市街へ ② 神殿の丘&岩のドーム
シャローム!
昨日の土曜日はシャバットでした。
シャバット(Sabbath,שבת)とはイスラエルにおける安息日のことです。
ユダヤ教の暦に置いて最も大切な1日であり、一切の労働をしてはいけない日と
されています。それはなぜか...
十戒の中で守ることを教えられているからです。
厳格派のひとたちは機器の操作や火の扱いを一切できなくなるため
金曜日の日没までに食事を作り終える必要等もあります。
以前、ハリポッター新刊の販売をシャバットに行った本屋が政府から罰金を受けたということもあり、オフィスや銀行はもちろん一部を除き国の公共交通機関は全体的にストップします。
地中海へ沈む太陽 テル・アビブ
さて、前回の投稿ではユダヤ教の聖地、嘆きの壁を取り上げました。
今回は、イスラム教における第三の聖地神殿の丘と岩のドームについて
書きたいと思います。
皆さんも一度は教科書等で見たことはあるのではないでしょうか。
ムハンマドが昇天した場所...
黄金に輝く屋根とドーム全体の壁を埋め尽くす繊細且つ緻密なアラビア模様の細密画
があまりにもシンボリックでありインパクトがあります。
そのインパクトがあまりにも強さがあるため、
人間がというより神が一夜にして創り上げたという説明の方が納得がいくほどに
美しい建築物だと思います。
ため息が出るほどに美しい 上部にはアラビア文字も混ぜ込まれている
<神殿の丘>
この神殿の丘(ハラム・シェリーフ)はイスラム教だけではなくユダヤ教、キリスト教の聖地でもあります。
- ユダヤ教の聖地:丘の中心に建つドームの中の岩は世界が創造された際の「基礎石(エベン・シュティア)」と言われ、エルサレムの中心、ひいては世界の中心であるとしています。古くはソロモン王の神殿があった場所とされ、ダビデ王が神の契約の箱を置いた場所とも言われており、2000年前にはイエスも頻繁に訪れたといいます。
<岩のドーム>
エルサレムのシンボル的存在ともなっている岩のドームは、預言者ムハンマドが天使を従え、天馬に乗って昇天したと言われている聖岩を抱え込むように建っています。
残念ながら現在、ムスリム以外の入場は禁止になっています。
上の写真でも分かるように八角形の壁は全面細密画のタイルがびっしり貼られ、
ドーム全体をずっと眺めていても、模様を細かく近づいて見ていても飽きることはありません。個人的にはキリスト教に関する絵画や教会内のデザインよりアラビア紋様の方が好きです。
イスラム教では偶像崇拝を徹底的に排除している分、神への畏敬の念や奉仕、信徒同士の一体感等を全て模様に表現しているのでないかと思っています。
またミナレットのスピーカーから流れてくるクルアーンの読経はなぜか落ち着いた気分になります。
特に早朝に街のどこかから流れてクルアーンを聞きながらウトウトするはどうして心地よい気分になるのか自分でも不思議です。例え理解できなくでも、アラビア語独特な響きは何かひとを落ち着かせる要素が含まれているとも勝手に思っています。
一通りドームを回りながら鑑賞を楽しんでいると、
やはり来ます。
イスラム教への勧誘するにーちゃんが。
大体中国語、英語、日本語etc.いろんな言語に対応した冊子用意しています↓
新興宗教ではないので、中身はしっかりとまとめられているのでパラパラとめくりながら、にーちゃんとあーだこーだと話すのはいい暇つぶしになります(笑)
冊子もくれよと言うと、これでお前も信徒同士だと言わんばかりに満面のニコニコ顔で
どーぞどーぞ!何冊でも持って行ってくれ!という感じでくれます( *`ω´)
神殿の丘を散策しているとメッカの方面を向き熱心にクルアーンを読んでいる人や、
絨毯を敷いて祈る人も多く見えます。
長老のようなオーラを放つお爺ちゃん井戸端会議的な様子も間近で見れます↓
ムスリムモスクで好きなのは、祈りは寺院内だけでなく外でも多くの信者が一同に会する分とても広く作られておりたいてい風通しも良いです。
また、地面に大理石を敷き詰めたりもしているため影に入るととてもヒンヤリとし、
歩き疲れた足を休めるのにも適していると思っています。
そんなことは信者には言いませんが、自分の中でムスリムモスクは街の喧騒から離れ勧誘のにーちゃんと世間話を楽しみ尚且つじっくり模様を鑑賞しながら休むことができる
憩いの聖域として勝手に決めています!(笑) ( ´ ▽ ` )ノ
木綿商人の門をくぐり丘に向かうムスリム女性たち
ゆっくり休みながらその後の1日の予定を考え、
神殿の丘を訪れることができた幸福感に浸りながら繁華街へ戻りました。
それでは今日も良い1日を!ヨムトーブ!
エルサレム旧市街へ ① 嘆きの壁
みなさんシャローム!
イブ爺ネタはもうコリゴリされたのと思うので、
エルサレム旧市街のことをまとめたいと思います。
しかしこの投稿だけでエルサレムの今昔を全てをまとめることは出来ないので、
自分の足で稼ぎ見て、聞いて、感じたことをそのまま書きたいと思います。
また、投稿内のいかなる言葉も私の個人的な感覚で表現するだけに留めるもので、
宗教的な意味、特定の宗教や民族への優位性・劣性は全く含んでいないということを最初に伝えます。
朝日を浴びる旧市街城壁と黄金のモスク 手前はユダヤ教徒の墓
奥に新市街のビルが見える
[ エルサレム Jerusalem القدس ירושלים]
ジェルサレム、ヘブライ語イェルシャライム、アラビア語アル・クドゥス(神聖)。
これまでも何度もネットはもちろん教科書や世界史資料で見てきた場所。
死ぬまでにいつか必ず訪れてみたい場所でした。
ここはご存知キリスト教、ユダヤ教、イスラム教の全ての信者にとって聖地。
市街の至る所に聖地と言われる場所があり、日々多くの信者が訪れ祈りを捧げ
そして宗教間の問題や軋轢も生んでいる聖地です。
実際には、旧市街内はキリスト教地区、ムスリム地区、ユダヤ人地区と
アルメニア人地区の四つに区分けがされています。
過去4000年という長い間中、虐殺、侵略、聖地奪還、民族復興・誇り、そして神の名の下に数え切れないほどの戦いの舞台となってきました。
現在でも狂信的な信者が自爆テロ事件を起こしたり、同じキリスト教でも宗派の違いで
教会内のどの区域を掃除するかが火種になりもめ事に発展することもありました。
シャアル・ハ・ラシャミム 黄金門
三つの宗教ともに救世主はここからエルサレムへ入ってくるとされている
[嘆きの門 הכותל המערבי(ハ・コテル・ハ・マアラヴィー)]
このあまりにも有名すぎる壁はユダヤ教徒にとっては最大の聖地であり、
また壁の奪還をめぐり中東戦争も起きています。
現在は、壁がある広場へと通じる通路は全てセキュリティーチェックを受けなくては
入れません。
また至る所にイスラエル国防軍や武装したPoliceが警備に当たっています。
ユダヤ教は男尊女卑であるため祈りを捧げる場所は男女で分かれています
左:男性 右:女性 右端のスロープは観光客が神殿の丘に入るための唯一の入り口
嘆きの壁に位置するユダヤ人地区には13世紀からユダヤ教の律法学者が住み着いていました。1948年の独立戦争でヨルダン軍が支配することになりましたが、1967年のシックデイズウォー6日間戦争によってユダヤ人は実に約1900年間にも及ぶ悲願が達成されました。
また嘆きの壁の由来は石の間に溜まった夜露が、壁に生えたヒソプの草を伝って落ちるため、それが数々の迫害や苦難を受けてきたユダヤ人の姿を写すようであるということから、いつしか「嘆きの壁」と言われるようになったと言います。
正統派のユダヤ教徒
自分も壁へ近づき信者が祈りの言葉を一心に捧げているのをずっとそばで
眺めていると、バラナシ・ガンジス川の火葬場で遺体が燃えていくのをひたすら
に眺めていた時と同じ感覚に浸っていることを思い出しました。
神聖な場所で祈る姿は自分にとって感動するという気持ちを飛び越え、無心にさせます。また自分には関係がないのにその場い、雰囲気に浸っていると
不思議と心地良く安心する気持ちにもなります。
文化や宗教、言葉、民族の壁を超え、神聖な空気というのは何か人類共通の普遍性が
必ずあると思います。
ユダヤ教の中でも超正統派ハレーディのおじさんと
旧約聖書にもみあげは体の神聖な場所と書いてあるらしく生まれてから
一度も切らない
夜は夜で壁や神殿の丘の岩のドームがライトアップされ綺麗です。
自分がエルサレムにいた時ちょうど軍の一定期間の訓練を終えた兵士の
宣誓式を執り行っていました。
警備中の一人に聞いたらこれからまた長い訓練をするにあたり国家に忠誠や宣誓をするために大勢兵士が集まっているとのことでした。
兵士とその家族
もともとユダヤ人地区は紀元前8世紀以来ユダヤ人が断続的に豊かな歴史的経済経験を積み上げてきましたが、1948年ヨルダン側が統治しアラブ人が住んでいた場所を6日間戦争での勝利後、取り壊し新たに整備してきた地区です。
ムスリム地区とは異なりバザールのような喧騒はほぼなく綺麗な住居、ギャラリーやカフェ、レストラン、本屋があります。
この整備が行き届いた地区は長い悲劇的な歴史と戦いの果て多くの犠牲者があった上で成り立っていると思うと複雑な気持ちになります。
城壁内の宿屋上からドームと奥のオリーブの丘
イブ爺のネタをもう少し!それからエルサレムへ( ´ ▽ ` )ノ
アッサラーム・アライクム!(意:平和があなたの上にありますように)
これに対する返事は逆にするだけ
アライクム・アッサラーム!(あなたの上にこそ平和がありますように)
ところでイブ爺に関するネタ話はもうちょっとあるので、
紹介したいと思います。
前回のに懲りずどうかお付き合いください....
ピースハウスはかれこれ30年間ほど続けているようで、
彼も活動をいろいろやってきたみたいです。
若いときのイブ爺 かなりイケメン...( ;´Д`)
活動の詳細は話してくれませんでしたが、
これまでの功績のおかげなのか各国へはパスポートは要らず招待状だけで
行けるとのことです。
ほんとかよ!!!??
また今月3日に死去したモハメド・アリの葬式には招待状をもらい
ニューヨークへ行ってきた(らしい)
寝ぼけてるのかたまに起きてはウェルカム!を連発します (笑)
最近心臓が悪かったからネコにくれてやったとか、
日本にも行きたですが、招待状がないから入れないとか云々カンヌン...
イブ爺のbelieve or not ネタは尽きませんでした!
翌朝、朝日を見るために屋上へ駆け上がると
どういうわけか腕にギブスを巻いた女性がいて一瞬ギョッ!としました。
尋ねるとウクライナ出身というその女性は泊まっているわけではなく、
近所にある本当のイブ爺の実家でお手伝いをしているらしい...
一体どこまでが本当でそうでないのか
全くもって謎が深まるばかりのイブラヒムピースハウス...
日が昇る砂漠の向こう側に死海があります
あなたも一度イブヒムピースハウスのドアを叩いてみては??( ´Д`)y━・~~
それではレヒトラオート!
今でも健在!アラブ爺さんのイブラヒムピースハウスへ行ってきたよ!
こちらイスラエルは日中猛暑の連日です。
というより、これからもっと暑くなるという...
寒いのにはどれだけでも耐えれる私ですが、
耐えれんのか?生きれんのか!この灼熱の大地で!?!?
エルサレム旧市街 ダマスカス門
それはさて置き
エルサレムにある日本人の間では一番有名と言われている
イブラヒムピースハウスへ泊まりました。
そこは一体どんな場所なのか簡単にご説明します↓
*ハウスのオーナーであるイブラヒムのお爺さん(以下イブ爺)は
アラブ人であり世界的に有名な平和活動家(らしい...)
*オリーブの丘の上に建ってます(4階建・建築途中の屋上あり)
*宿というよりイブ爺が活動の拠点である自分の家をフリーで旅行者に
オープンしてるという感じです
*正式な宿ではないので地球の歩き方にも載っていないし、
しかもなんと宿代は寄付制!
*イブ爺の気分で朝や昼などご飯を作ってくれます(無料で)
とまあ色々と謎多きおうちです....
とにかくハウスの説明はこの辺でいいでしょう。
エルサレムへ到着後、直ぐハウスがあると聞くオリーブの丘へ向かいますが
内心かなりドキドキしました。
岩のドームがギラギラと太陽光を反射しています
タクシーの勧誘を跳ね除けながら丘を登りきりその辺のひとに
「イブラヒムピースハウス?」と聞くと有名なだけにみな知っている様で、
あっちだあっち!と言わんばかりに方向を教えてくれます。
なんとか辿り着き門を叩くと奥からウェルカムウェルカム!と聞こえます。
入るといましたイブラヒム!
よりアラブ人バージョンのイブ爺
奥のソファーでゴロゴロしてました
というか大体一日中ゴロゴロしてた
感じです(笑)
いや〜ようやく着きましたよ〜と話してると
「Eat eat eat!」とキッチンからご飯を提供してくれました!
通常バージョンのイブ爺
ありがとうイブラヒム美味しかったよ!
ということでまだまだイブ爺のピースハウスは色々とネタが満載ですが
いよいよエルサレム旧市街へ突入します( ´ ▽ ` )ノ
今日はここらでレヒトラオート!